山背大兄王是什么意思(中文簡介)
山背大兄王,圣德太子之長子,生于推古天皇四年(596年).皇極天皇二年(643年),為蘇我鞍作(后來史書貶其為"蘇我入鹿")所殺.
山背大兄王是什么意思(日文簡介)
?-643 飛鳥(あすか)時代,聖徳太子の第1王子。
母は蘇我馬子の娘,刀自古郎女(とじこのいらつめ)。推古天皇の死後,田村皇子(のちの舒明(じょめい)天皇)と皇位をあらそい,敗れる。皇極天皇2年11月,古人大兄(ふるひとのおおえの)皇子を皇極天皇の後継にたてようとした蘇我入鹿(いるか)らの兵にかこまれ,生駒(いこま)山にのがれたのち,斑鳩(いかるが)寺で自殺した。名は山代大兄王ともかき,山尻王,上宮(じょうぐう)王ともいう。
【格言など】是(ここ)を以て,吾が一身(ひとつみ)をば,入鹿(いるか)に賜う(「日本書紀」)
母は蘇我馬子の娘,刀自古郎女(とじこのいらつめ)。推古天皇の死後,田村皇子(のちの舒明(じょめい)天皇)と皇位をあらそい,敗れる。皇極天皇2年11月,古人大兄(ふるひとのおおえの)皇子を皇極天皇の後継にたてようとした蘇我入鹿(いるか)らの兵にかこまれ,生駒(いこま)山にのがれたのち,斑鳩(いかるが)寺で自殺した。名は山代大兄王ともかき,山尻王,上宮(じょうぐう)王ともいう。
【格言など】是(ここ)を以て,吾が一身(ひとつみ)をば,入鹿(いるか)に賜う(「日本書紀」)
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