最上義光是什么意思(中文簡介)
最上義光(もがみよしあき,1546-1614),最上氏第十一代家督。羽州大名最上義守的長子,幼名白壽。最上氏是足利一族斯波氏的分支奧州探題斯波家兼次子兼賴的后裔,世代承繼羽州探題的職位。永祿三年十五歲時白壽元服,受將軍足利義輝贈其名諱中的"義"字,通稱源五郎義光。
最上義光是什么意思(日文簡介)
1546-1614 織豊-江戸時代前期の武將,大名。
天文(てんぶん)15年生まれ。出羽(でわ)山形城主。一族,國人衆との內戦をかちぬき,甥(おい)の伊達政宗に対抗して出羽半國を領した。関ケ原の戦いでは東軍につき,出羽で上杉家の直江兼続(かねつぐ)とたたかう。戦後莊內地方,由利郡も加増され,山形藩主最上家初代となった。57萬石。慶長19年1月18日死去。69歳。
天文(てんぶん)15年生まれ。出羽(でわ)山形城主。一族,國人衆との內戦をかちぬき,甥(おい)の伊達政宗に対抗して出羽半國を領した。関ケ原の戦いでは東軍につき,出羽で上杉家の直江兼続(かねつぐ)とたたかう。戦後莊內地方,由利郡も加増され,山形藩主最上家初代となった。57萬石。慶長19年1月18日死去。69歳。
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