遍昭是什么意思(中文簡介)
遍昭,(816~890)桓武天皇之孫,俗名良岑宗貞,和歌家。曾任左近衛少將、藏人頭,在仁明天皇亡故后出家,并出任寺院僧正,故又稱“僧正遍昭”。元慶寺為其所建。古典小說《大和物語》中有他與美貌女流歌人小野小町的戀愛故事。其和歌輕妙流麗、富于幽默,以戀愛、傷感的哀悼詩歌見長。其和歌作品除個人集《遍昭集》外,多見于《古今和歌集》。六歌仙之一。
遍昭是什么意思(日文簡介)
816-890 平安時代前期の僧,歌人。
弘仁(こうにん)7年生まれ。桓武(かんむ)天皇の孫。良岑安世(よしみねの-やすよ)の子。素性の父。蔵人頭(くろうどのとう)のとき仁明(にんみょう)天皇の死で出家,天臺の僧となる。京都花山(かざん)に元慶寺をひらき座主(ざす)となり,花山僧正とよばれた。仁和(にんな)元年僧正。六歌仙,三十六歌仙のひとりで,「古今和歌集」以下の勅撰集に35首とられる。寛平(かんぴょう)2年1月19日死去。75歳。俗名は良岑宗貞(むねさだ)。名は遍照ともかく。家集に「遍昭集」。
【格言など】天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよをとめの姿しばしとどめむ(「小倉百人一首」)
弘仁(こうにん)7年生まれ。桓武(かんむ)天皇の孫。良岑安世(よしみねの-やすよ)の子。素性の父。蔵人頭(くろうどのとう)のとき仁明(にんみょう)天皇の死で出家,天臺の僧となる。京都花山(かざん)に元慶寺をひらき座主(ざす)となり,花山僧正とよばれた。仁和(にんな)元年僧正。六歌仙,三十六歌仙のひとりで,「古今和歌集」以下の勅撰集に35首とられる。寛平(かんぴょう)2年1月19日死去。75歳。俗名は良岑宗貞(むねさだ)。名は遍照ともかく。家集に「遍昭集」。
【格言など】天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよをとめの姿しばしとどめむ(「小倉百人一首」)
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