藤原基房是什么意思(中文簡介)
松殿基房(1145年-1231年2月1日),日本平安時代晚期的藤原北家公卿。關白藤原忠通次子,歷任內大臣、右大臣、左大臣,最終官至從一位攝政關白太政大臣,出家后法名善觀。其稱號有松殿、菩提院、中山等,是松殿家的始祖,一般以松殿關白稱呼他。
藤原基房是什么意思(日文簡介)
1145-1231* 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
久安元年生まれ。藤原忠通(ただみち)の子。母は源國信(くにざね)の娘。永萬2年(1166)兄近衛基実(このえ-もとざね)の死で摂政をつぎ,太政大臣,関白を歴任。治承(じしょう)3年(1179)平清盛と対立して備前に流された。のち源義仲とむすんだが,義仲の敗死で政界をしりぞき,以後は公事(くじ)の識者として諮問(しもん)にあずかった。寛喜(かんぎ)2年12月28日死去。86歳。號は松殿,中山,菩提院。
久安元年生まれ。藤原忠通(ただみち)の子。母は源國信(くにざね)の娘。永萬2年(1166)兄近衛基実(このえ-もとざね)の死で摂政をつぎ,太政大臣,関白を歴任。治承(じしょう)3年(1179)平清盛と対立して備前に流された。のち源義仲とむすんだが,義仲の敗死で政界をしりぞき,以後は公事(くじ)の識者として諮問(しもん)にあずかった。寛喜(かんぎ)2年12月28日死去。86歳。號は松殿,中山,菩提院。
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