中江兆民是什么意思(中文簡介)
中江兆民,男,于1847出生于日本,是日本明治時期自由民權運動理論家、政治家、唯物主義哲學家、無神論者。
中江兆民是什么意思(日文簡介)
1847-1901 明治時代の思想家。
弘化(こうか)4年11月1日生まれ。江戸で箕作麟祥(みつくり-りんしょう)の塾にまなぶ。明治4年フランスに留學。帰國後,仏學塾をひらく。東京外國語學校長,ついで元老院権(ごんの)少書記官をつとめるが,10年元老院を辭し,以後在野で活躍。14年西園寺公望(きんもち)らと「東洋自由新聞」を創刊。15年ルソーの「社會契約論」を翻訳,注解した「民約訳解」を刊行。20年保安條例により東京を追放され,大阪で「東雲(しののめ)新聞」を創刊して,反政府,自由民権の論陣をはる。23年第1回総選挙で衆議院議員(翌年辭職)。晩年は実業にたずさわるが失敗し,著述に専念した。明治34年12月13日死去。55歳。土佐(高知県)出身。本名は篤介(助)。別號に南海仙漁,秋水,木強生。著作に「三酔人経綸(けいりん)問答」「一年有半」など。
【格言など】自由は取る可き物なり,貰う可き品に非ず(「放談」)
弘化(こうか)4年11月1日生まれ。江戸で箕作麟祥(みつくり-りんしょう)の塾にまなぶ。明治4年フランスに留學。帰國後,仏學塾をひらく。東京外國語學校長,ついで元老院権(ごんの)少書記官をつとめるが,10年元老院を辭し,以後在野で活躍。14年西園寺公望(きんもち)らと「東洋自由新聞」を創刊。15年ルソーの「社會契約論」を翻訳,注解した「民約訳解」を刊行。20年保安條例により東京を追放され,大阪で「東雲(しののめ)新聞」を創刊して,反政府,自由民権の論陣をはる。23年第1回総選挙で衆議院議員(翌年辭職)。晩年は実業にたずさわるが失敗し,著述に専念した。明治34年12月13日死去。55歳。土佐(高知県)出身。本名は篤介(助)。別號に南海仙漁,秋水,木強生。著作に「三酔人経綸(けいりん)問答」「一年有半」など。
【格言など】自由は取る可き物なり,貰う可き品に非ず(「放談」)
免責聲明:本站所提供的內容來源于網絡搜集,由詞典網小編整理,僅供個人備考、交流學習使用,不涉及商業盈利目的。如涉及版權問題,請聯系本站管理員予以更改或刪除。